今、野田首相が社会保障と税の一体改革に向けて頑張っており、その方策が失敗した向こうにはもうすでに国債暴落の恐ろしい金切り声が音をたてているように思えます。
しかしながら、敢えて暴論を吐くならば、私は、大変残念ながら、このまま我が国はなすすべもなく、結局の処、国債暴落への道をまっしぐらに突き進むしかないのではなかろうかという深い危惧を抱いています。
その理由は極めてシンプルです。
国民の識字率がこれだけ高くなってしまうと、議論による解決はまず無理で、強い政治的なリーダーシップを有する独裁制を敷くしか政策実行を担保する体制はないと思うのですが、皮肉なことに独裁制にするにしても、これだけ識字率が高くなってしまうと、もうその独裁制の実現すら実行可能性は著しく低いのではないかと思うからです。この点がワイマール共和国、ヒトラー誕生の歴史とは違っているのかもしれません。
最近、後藤新平氏が、東日本大震災後の政府の対応の遅さと比較して、一種の英雄願望の文脈で語られる機会をよく見るようになりました。
かつての台湾統治時代の水際立った行政手腕をかねてから尊敬していた私は、我が意を得たりだったのですが、その後、よくよく考えてみると、後藤氏の天才は当然としても、やはり当時の時代背景も大きくその要因として考えるべきであると再考するに至ったのです。
つまり、大正時代の識字率はかなり高かったでしょうが、やはり民主主義の遍在かというには程遠い大衆社会にあって、ある政策を実行する際の反対勢力の存在は、今の世の中に比するべくもない、つまり、優秀なリーダーにあっては、彼の考える処を実行するに際して、大きな反対勢力は存在しえないか、存在しても無視できるかだったのではないかと考えるに至っています。
翻って現代にあっては、もう谷垣何某の言っていることは支離滅裂以外の何物でもないにも係らず、このような意見も無碍に無視できない政治システムであり、最近では大多数の国民が積極的に反対しているとは思えない(=受け入れざるを得ない)消費税増税反対を叫んで民主党を離党した国会議員、彼らもやはりその背後には彼らを支持する有権者がひも付きでいるわけで、それ、すなわち、国債暴落と限りなく近い線上にいるにもかかわらず、現在の民主主義の枠内ではそういう国会議員に対しても一蹴することは不可能なわけです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
かつて、北京に降り立った時、その飛行場から紫禁城にいたるまで、限りなく一直線であったハイウエイ、これを中国の人は誇りに思い外国人に見せているようですが、私からすると、ああ、こんな理不尽なことができてしまう、すなわち、当時の(そして、おそらく今も)中国の識字率は極めて低いのだなぁと想いを馳せたわけです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一種の成熟型民主主義においては(定義をしていませんが)、ある一方の団体が黒とするものでも、ほぼ間違いなく白と言う団体がでてき、多数決という最終決着があるにしても、実質的に物事をはっきり決めることは不可能である現実からすると、大変に遺憾ながら、国債暴落を防ぐことはできず、その結末までを一気に駈けていくのではなかろうか、そのような誠に残念な結論を思い描くしかないのであります。
【2012/01/24 10:40】
未分類 |
トラックバック(0)
|

日本に留学している外国人学生の間で使われている、(本国でも使われている)フランス語に「畳化」という言葉があるのをご存知ですか(日本人の知らない日本語2他から)?
どういうシチュエーションで自分が「畳化」したと認識するかと言うと・・・・・・・・・・・・・
帰国してタクシーに乗り込むときに、ドアが開くまで待っている時(海外のタクシーで自動ドアはありません)や、
本屋さんで、文庫本にカバーをしてもらうのが当然と思ったり(これも外国にはない習慣)、
電話でお礼をする時にお辞儀したり、
はたまた、意見を求められた時に、イエスかノーかをはっきり言わず、どちらとも言えない保留意見を述べる自分に気がついた
などだそうです。
アニメやAKBと違って、これは輸出してもお金にはなりませんが、日本が世界と違うというのは、津波の後の被災者の秩序だった行動と合わせて、こんな言葉で表してるのかもしれないと思いました。
【2012/01/16 17:40】
未分類 |
トラックバック(0)
|

今回は私の趣味を書きます。
一年ぶりに東京事変のコンサートに行ってきました。
かなり以前から椎名林檎のファンでして、病昂じてファンクラブにも入会し(理由は、2年前に東京事変のコンサートの前売が全く手に入らず、ファンクラブに入るとチケットの優先割当てが得られることを学習したためです。ただし更新を忘れてしまい、ファンクラブ自動脱会となったので、今回はネットオークションで購入しました。結果、6000円のチケット購入にナント17000円もかかってしまい、かたやファンクラブの年会費は確か5000円なので、再入会することにしました)。
今回もコンサートに行く前は、こんな年食って椎名林檎のコンサート行くなんて恥ずかしくないだろうか、なんて一瞬悩んだりするのですが。
いざ行ってみると、わずかながら(全体の3%位)私位の年齢の客もいることに安堵し、コンサートが始まると結構楽しんでいます。
だから今年も行ったのですが。
林檎、今年はグリコや資生堂で取り上げられ、楽曲も沢山タイアップされていたし、締めは紅白まで出ちゃうのね、とか、個々の演奏者の話や、浮雲は今回も新しい事(オクターブ奏法)してたなぁ、なんてことは余りにNERDな話題なので、ここでは「椎名林檎」について書きます。
私はコンテンポラリーな歌い手の三大天才は美空ひばり、荒井由美(古いなぁ)と椎名林檎だと思うのであります。
ちなみに、林檎もときどき、ひばりへのオマージュを込めてだと思うのですが、ひばりの節回しをわざと入れて歌うときがあります(「ブラックアウト」)。
美空ひばりは自分で楽曲を書いていないので、置いておくとして、荒井由美と椎名林檎には共通点があると思います。
二人とも楽曲数が半端でないのです。
この二人の天才は、とにかく湧いて出てくるように楽曲を書いています。
それも、結構、当たりの曲が多いと思います。この才能は音楽における天才の条件として絶対だと思います。
ビートルズやブラームス、チャイコフスキー、モーツァルト等々、みんな楽曲数多いですよね。
荒井由美の初期の楽曲に「海を見ていた午後」というのがあるのですが、この中で、
「ソーダ水の中を 貨物船が通る。 小さな泡も 恋のように消えていった。」というのがあって、
「恋が小さな泡のように消えた。」と書かないで、敢えて倒置しているところに、荒井由美の天才が感じられると言った友人がいました。
確かにそう思います。
椎名林檎は初期の頃の「罪と罰」や「本能」の看護婦コスプレのイメージが強くて、当初はきわものイメージと取られていた感もありますが、私的には「本能」のFLIP SIDEに入っていた「あおぞら」という曲が、林檎の天才を感じさせる、ほんわかと嬉しくなる一曲です。
また、このころの「17」という曲は英語の楽曲ですが、これを聞いていると、不思議とイギリスかアメリカの田園的な風景に囲まれた学校の景色が浮かんできます。
すごい才能だと思います。
彼女の才能は「OSCA」(これは彼女の作曲ではないですが)や「秘密」、「歌舞伎」のようなアップテンポでのビートの効いた曲を作れると同時に、資生堂で歌っている「女の子は誰でも」や「色恋沙汰」のような乙女チックな曲もあり、かたや「流行」、「天国へようこそ」のように従来の曲想にない奇抜な試みの曲があるかと思いきや、実はスローバラードの心に染みいる曲も作れるという、正にマルチな面が他のアーティストと一線を画している処ではないかと思います。
「落日」、この曲はホントに心に染みいる名曲です。 最近では「旬」もこの系統です。
本日は椎名林檎礼賛号でした。来年も宜しくお願いします。
【2011/12/19 11:26】
未分類 |
トラックバック(0)
|

先日、同業で同じように事務所を経営している方とランチをしました。
途中、業界以外の話もするので、業界についての会話時間はせいぜい20分位でしたが、とても密度の濃いものに感じました。
たとえて言うとセミナーを3時間受講したくらい勉強になりました。
どういうことかと言うと・・・・・・
以前、テレビで剣道日本選手権があって、上級有段者の取組をみていると、それこそ剣先が触れ合うだけで勝負の行方が見えてしまうような(ちょっと大げさ)、そういう雰囲気がテレビを通して伝わってくるのですよね。
よく剣豪小説やマンガなんかで、剣豪同士の戦いともなると、最初に見合っただけで相手の力量が分かってしまうような、今回の会話はそんな感覚です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私もこの職業に身を投じて優に25年は立っており、相手もやはり同じような経歴。
規模の大小こそあれ、お互いに事務所運営には頭を痛めているはずで、その中でも不況下における成長戦略の策定は生き残りのために不可欠であるわけです。
そういう状況で、お互いに将来戦略を話すと、正に短時間でお互いの考えていることの一致点、符号があってしまいました。そうか、剣豪の感覚ってこういうことねと得心すると同時に、所詮、人間の考えることは大体同じであり、後は実践だけの違いなのだなぁと思った次第です。
【2011/12/02 16:32】
未分類 |
トラックバック(0)
|

前回のあらすじ)
テスラモーターの本社を訪問した際に、およそ1000人も働いていようかというオフイス空間全てが、今までの米国伝統とも言える壁のような高さのパーティションから、せいぜい座った時に、互いの視線を妨げない程度の高さになっていたことから、私が思いを馳せたこととは、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本の上場企業に活力がなくなったこと、および、マスコミが大本営発表の、本来マスコミが果たすべき調査、分析、社会への提言、そういう自分達のDNAを放棄してしまったことと、それが福島原発事故で象徴的に世間にばれてしまったこと、これ、すべてテスラモーターのパーティションに象徴されていると思ったのです。
今年の東京の夏は暑かった、ほんとに灼熱地獄だった。 で、少しズルしました。
夏の間、約1.5ヶ月、車で出勤しました。これは楽だった。ほんとに極楽だった。
でもいいことには必ずその報いがセットされているように思います。
この場合の報いとは、だんだん意識が世間とずれてくるのを感じてきたわけです。
およそ1カ月もそんな生活が続くと、自分のリアルな現実は、往復の車内と、会社の執務空間、そして家、この
3つで自分の考えが形成されてくるわけです。
特に今年の夏は暑かったせいもあり、あまりお客様の処も訪問しなかったので、余計に、この有限の空間が自己意識形成の場です。
そうすると、やはり情報はインターネット、新聞、TVに頼るようになり、すべての事象は自分の目で見たものでなく、一度マスコミのフィルターを通したものになってしまいます。
勿論、電車通勤とて事態は基本的に同じなのですが、やはり、電車で他人と顔つき合わせながら会社に行く道すがら、あるいは途中下車駅で垣間見る風景、そのような行為を通じて世間と繋がっているように感じられるのです。
これが上場企業の役員の場合には、さらに進んで、閉ざされた空間感覚が定着化し、自分の現実には、福島原発の事故や何かも自分に関係なく、(勿論、自分の関係する工場が被災していればそれなりに関係ありますが、それとて、車で現地に行って、すぐ帰ってくるという、自分に都合のいいように現実を切り取った行為だったとしたら、やはりリアルな現実は把握できなくなるのでは)、全ては送り迎えの運転手つきの車と、会社での個室。
そして情報はすべて新聞やTVのみ。
このような中で暮らしているのが、上場企業の役付取締役の一般的なイメージではないでしょうか。
こんな生活を続けていると、おそらく、どんな聖人君子でも、思考能力や感動・共感する力に著しい退行現象がでてくると思います。
この人たちが把握している現実は、実は世間が把握している現実とは、大きな、大きな隔たりがいるはずです。
そして、そのような事情を導いた責任の一端がある、TVや新聞等の大マスコミ。
今回、オリンパスの騒動を最初に報じたのは「ファクタ」という雑誌ですが、これに対して日本経済新聞や朝日新聞は全く反応していません。
事実を報じたのはFTであり、それを訳すだけ、自分達で取材すらろくにしていると思えない、全くマスコミの存在意義がなくなってしまっています。
この人たちも世間より恵まれた給与をもらい、やはり取締役ともなれば、自分で取材情報を編集したりすることも
なくなるのでしょうから、自ずからマスコミの使命を忘れて行くことも自然なことのように思います。
そう、取締役の個室には、我が国の抱えている現実は存在せず、静謐な空気が流れているだけなのです。
こういうリーダーばかりになってしまった我が国が、自発的に現状打破を見出せるとは到底思えない次第なのです。
【2011/11/18 12:36】
未分類 |
トラックバック(0)
|
