第5回
前回はアメリカ的資本主義の問題点として「ドルの還流」と「アウトソーシング」を挙げました。以下にそのことを説明します。この部分は最近の文芸春秋で読んだ記事からとっています(出典を失念しました。すいません)。
「ドルの還流」とは一言で言えば、中国や日本を始めとする諸外国が米国との貿易で儲けたドルの投資先として金利等の理由から米国債等のドル資産を購入するため、一旦米国から外国に流出したドルが再び米国に戻ってくる(還流)ことです。
これがなぜ問題かというと、戻ってきたドルは米国内で投資資金に充当されるのでなく、もっぱら米国民の消費に向けられているということです。しかもこのお金は「借金」であり、いずれ返さなければいけないお金であるにも拘わらず、米国民はそのような認識を持っていないということです。つまり、外国が会費持ちの、終わりのないパーティーが続いているわけで、このツケはいずれ精算されなければならないだろうというのがドルの還流の問題点です。この問題は、結局、ドルに対する国際的な信認がいつまで続くのかという問題点に置き換えることができるのでしょう。
もうひとつの問題である「アウトソーシング」とは何かといいますと、ここ数年来、米国ではITや金融等、より付加価値の高い業態を国内で育成し、労働集約的な製造業等は、海外に「アウトソーシング」する産業構造を目指す方向を米国の雇用形態とし、全体としての国民所得をかさ上げするという国策(?)の典型的事例として取り上げられています。具体的には、インドや中国がアウトソーシングの受入れ先になっているわけですが、昨今ではインドのIT躍進等を受けて、必ずしもこのような方向に産業構造が向かわず、却って高付加価値の業態についてもインドや中国にアウトソーシングする事態が出来している現実が伝えられています。例えばモトローラでは最近R&D部門を中国に移したと聞いています。
資本の論理(ある種の比較優位の原理)を忠実に実践していった結果、自国内での雇用確保が二の次になり、富めるものはますます富み、貧しいものは置いてきぼり。そのような資本主義形態の最終形への加速化に、アウトソーシングは、当初の思惑と異なり、大いに与っているように思えます。
民族・出自・人種が異なる人々が集まってできた人工国家アメリカであるならば、そのような、お金によって全てが支配される資本主義もある程度やむを得ない部分があるかとも思いますが、昨今のストックオプションを用いたCFOの巨額報酬を見ていると、人間の欲望に歯止めを掛けられない米国型資本主義に、些かの懸念および嫌悪感を抱くのは私だけでしょうか(この稿つづく)。
【2006/08/30 10:45】
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第4回
感 想と雑 感
さて授業に関する率直な感想は20年前とそのコアな部分において、ほとんどなんら変わっていないということを認識させられました。オプション理論については当時は目新しいものでしたが、さすがにこの20年間で学問的にも整備された感がありました。その他の講義は基本的に20年前との差異はないように思います。では何が一番変わったかというと、この間の世界を取り巻く経済状況が1989年のベルリンの壁崩壊に象徴されるような冷戦終結、その後の日本経済やドイツ経済の失速という事態により、資本主義の形態が全世界的にアメリカ型資本主義になってきたため、資本政策面での理論的バックボーンを従来から果たしてきた、ビジネススクールのファイナンスが、実務面でとりわけ大きな力を得てきたということなのでしょうか。今でもよく覚えておりますが、私が卒業した年の卒業者リストの広告頁にGoldman Sachsが載っていましたが、当時、その名前を知っているのは日本の金融機関から派遣された友人でも少数でした。
私が留学した1984〜86年当時は日本経済が絶好調だったせいもあり、ビジネススクールで教えるファイナンスもさほど実務的には米国内でも浸透していなかったようにも思えます。その後は、既に説明したごとく米国型資本主義がグローバル化してくると、それに平仄を合わせるように米国内の有名なビジネススクールだけをとっても卒業生が毎年5〜6000人、これだけの数が20年ではなんと10万人以上となるわけで、彼らが怒涛のごとく投資銀行等や事業会社のCFOを目指して就職したわけです。
この累積数が実務の場面でビジネススクールのファイナンス理論に従って経営を進めるとなると、これはもう世界的規模での一大勢力となるわけです。
しかも当時から日本を含め世界中から留学した学生が、帰国後それぞれの母国でそれなりの高給や働きがいが期待できるため、米系投資銀行を志向する傾向は続いているわけで、米国にすれば自国のファイナンス理論を世界の津々浦々まで浸透させることはさほど難しくありません。
では、そのファイナンスの中身は何かというと、結局、アメリカはもうモノは作りませんよ、モノは他の国で作ってもらい、自らはそのあがりで稼ぐのが目的であり、会社はその目的を実現する格好のツールであるということを理論的に実証的に証明する学問であるというのが正直実感したところです。
ある教授が授業で述べた、とても印象的な言葉があります。職業柄、会計に関連したことなのですが、その言葉とは「そもそも会社の価値を測るのに帳簿価値(英語ではBook Valueと言います)等という言葉を充てること自体が不適切である。帳簿(Book)はあくまで帳簿(Book)であり価値などない(Book is only book, there’s no value on it)。価値とは株式市場で決まる株価に株数を掛けたもの(すなわち時価 market valeのことです)が全てである。」というものでした。
私が留学した当時から会計学とファイナンスとは仲が悪かったのですが、ここに至って、この教授の言葉に代表されるように、軍配は完全にファイナンスの側にあがったようです。実際、私たちの周りでも最近の退職年金会計、減損会計等、会計の数字をファイナンスの考え方に近づけるもしくは従属させる流れが主流となりつつあります。
以上のことを会計的に説明しますと、もはやアメリカはバランスシートの左側(資産を計上する側です)に完全に興味を失い、バランスシート右側(資金調達方法を計上する側です)の価値をファイナンス理論を用いてどうやって高めるかということに興味の中心があるということです。
私が受講したのはファイナンスコースであり、これは企業においては資本市場での決定権をもつCFOに対する講義であり、これに対して製品市場、その他、人事、マーケティング、戦略策定等々の決定権を持つCOO、この両者の統治者としてCEOが価値を創造する。そう位置づけされるのがアメリカのコーポレートガバナンスの基本型であり、果たしてCOOやCEO向けの講義でどのようなことが教えられているかはわかりませんが、現在のアメリカ企業でCFOの占める役割が極めて大きいことは既にご案内のとおりです。
ただこのようなアメリカ的資本主義もだんだんと問題点が露呈してきているのではないかと感じています。それはたとえばマクロ的には「ドルの還流」そして卑近な例では「アウトソーシング」という現象が物語っているのではないでしょうか。
(この講つづく)
【2006/08/08 12:30】
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