日本に敵対的買収(TOB)は根付かない
私は自信をもって敵対的買収は日本に根付かないと断言するものであります。
理由は至極簡単です。日本人が農耕民族であるからです。
いや私の周りには一人もお百姓さんいないよという声が聞こえてきますが、敢えて問いたい。ではヨーロッパやアメリカで毎日狩りして生活している人がどの位いるでしょうか。私の人生に知り合ったアメリカ人でハンターはいなかった! でも彼等は狩猟民族と呼ばれているがごときです。
私の友人が海外赴任していたときレバノン人の知り合いができたそうです。彼等にとって最も価値のある生活は「自分で物を作るのでなく、人の物を取ってきて儲けることである。」というような意味合いのことを言われて、ぶったまげたと言ってました。
中東の人々を欧米の人々と一緒にできないでしょうし、中東で狩猟はできないかもしれませんが、要はその民族が持っている価値観は少なからずその歴史に刻まれた生活様式から規定されるのではなかろうかと言うことです。
我が国は肥沃な土地に恵まれ、毎年、稲さえ作っていれば必ず収穫があり生活の心配なく暮らせる。そういう中で、隣人達で協力して物を作り上げていく文化が自然とできあがって来たのだと思います。農業は共同作業なくしては成り立ちえません。そこでは自ずから周りの人を気遣う配慮、人のものをかっぱらうというような考えからは最も遠いところにあるのと思います。唯一汚点としては、この前の戦争で人の領土をむしりとるようなことをやってしまったことがありますが、これは又、別の機会に書きます。
そういう中で祭政一致の権力者として天皇がいて、現在では祭事の儀式として稲作の刈り取りなどをなされていますが、ともかくもそういう稲作文化が我が国文化の根幹といってもいいのでは・・・・
で、そういう我が国文化に対して、略奪や強奪について倫理的な問題を持たないようにも思える西欧文化(古くは十字軍、バイキング、中近世史的には植民地支配)では、既にできあがったものを簒奪することについては、われわれが持つほどの倫理的禁忌を持たないのではないでしょうか。そのための安全弁としてもキリスト教がある種の役割を果たしていたことの可能性も排除できないのではないでしょうか(アジアや南米を植民地化する際にキリスト教神父が大きな役割を果たしていたことは事実でしょう)。
お話を現在に移すと、我が国では、長らく合併時に交付金等を払って、表面上は対等合併にする等のコスメティックスを行ってきたのは、やはり一方が他方を力で飲み込むという狩猟的な発想に嫌気があったからでしょう。
そういう中、昨今の敵対的TOBの流行に対して、これが世界の流れだから(ホント?!)、そうしないとグローバル競争に打ち勝てないからという、何か根拠ないけど、グローバルと言われたらしょうがないな、というようなあやふやな感覚で、日常茶飯事的に行われることは恐ろしいことではありますまいか。
私は友好的TOBまで否定しているものではありません。ただ米国の歴史実例をみてもわかるように、敵対的TOBで金銭的に得したのはウォール街の投資銀行や一部の乗っ取り屋であって、会社の従業員や産業が活性化したということはないんではないでしょうか。
であるので、日本では敵対的TOBは一時のブームで終わると断言するものであります。
