前回の続き(アメリカ経済の・・・)は夏休みなのでお休みして、今回は「人の行かぬ処に花道あり」を書いてみます。
そもそもこの言葉は留学時代に証券会社に勤務していた友人が好んで使っていた言葉です。その含意は我々の頃も文化系学生の就職の花形は銀行であり、同じ金融機関でも証券会社は一段低いものと見られていて、就職ランキングは余り高くはなかったように記憶しています。友人はそういう会社に勤務することで、より多くのビジネスチャンスが得られるとの決意から(銀行受けたかどうかは聞いてませんが)、この言葉を使っていたようでした。
好きなことをやって生活ができればこれに超したことはないのでしょうが、そもそも好きなことなるものも、ホントに好きなことかどうかはわからない人が多いでしょうし、極論すれば、芸術や文学などのある程度先天的な才能がものをいう分野と違って、我々のごとくそういう才に恵まれなかった凡人には、どんなことでも、やり始めて続けていると、それなりにおもしろみややりがいを感じるというのが実際の処ではないでしょうか。
で、世の中で誉めそやされるものが、必ずしも自分が目指しているものとも限らないし、そもそも自分がやりたいこと自体が他者の視線を多分に意識して決定される位ならば、いっそのこと、そういうものは取っ払って、今あまり人気がなくても競争が激しくないような処に身をおいた方が、将来の自分の可能性をより多く引き出すことができるかもしれません。ただし重要なことは今後とも将来性が期待できないところはやめるべきでしょう。
逆の意味で言うと、例えばこれから大変な競争になる職業には弁護士があるはずです。今は知的職業の最たるもの、また最難関資格として人気がありますが、昨今の3000人合格時代の到来は、必ずや近い将来に供給過多を起こすはずです。世間ではこれからは我が国にも大訴訟時代がやってくるとか言う人もいますが、そういう文化風土は我が国には根付いていませんし、たかだか戦後60年くらいで、そこまでの変化を受け入れるとは到底思えません(例えば仏教が我が国に根付くにはおよそ600年位かかっているわけで、キリスト教が我が国にたとえ根付くにしても、まだまだ多くの時間がかかるでしょう)。つまり、供給過多→仕事がない、という事態が予測されるわけです。更に悪いことには、この職業には、会計士同様、定年がありません。換言すると、いつまでも年寄りが辞めないと言うことであり、若い人がチャンスを掴むことは並大抵の努力ではないはずです。かたや巨大化した会計士事務所同様に法律事務所も巨大化、サラリーマン化したパートーナー制度となっており、定年制もある代わりに激烈な競争となっているようです。天職として法律家しかないという人は別として、わざわざ競争の激しいところで自己実現を図らなくても・・・・・と思うのは余計なお世話でしょうか。
では、一体何が将来性があるかということですが、これは実は余りよくわからないのですね。そもそも人によって何が将来性があると規定するか違っているでしょうし(とにかく金が儲かればよい、お金はほどほどでもいいから世間から注目されたいとか、人によって基準が違うでしょうし)。でも、将来、転職することを前提として働くならば、気を付けて周りを見ていると、必ず、自分の周りで何かが代わっていく雰囲気が関知できるはずです。要は、そういう臭いや雰囲気を感じたときに、思い切って飛び込んでみる勇気があるかどうかが自分の将来を切り開く唯一の方法ではないでしょうか。今は昔と違って、ステロタイプに生きていくのでなく、自分の生き方の選び方ひとつでその後の人生が大きく変わってしまう世の中になったと思うこのごろです。
