美的感覚について(承前)
前回の美的感覚として西洋人と日本人との違いを書いたのですが、これに関連して昔、面白いことを読んだか聞いたかしたので、それを書きましょう。
確かドイツの低学年の美術の時間というのは論理を学ぶ時間であるというものでした。つまり、色彩三原則の下、ここに在る色を配置したらその隣にはこの色を配色しなければならないということを教えると聞いたことがあります(ドイツのこと知ってる人、間違いかどうか教えてください)。
これが正しいという前提で考えるとドイツ人に生まれなくてつくづく良かったと思うわけです。理由は敢えて付しませんが・・・
確かにドイツの画家というと、デューラーやクラナッハ、最近ではエルンストなんて人がいるけど、あんまり楽しくないですよね。「静謐」・・・こういう単語が浮かびます。
かたや、こういう論理的なアプローチは音楽には極めて有効なのでしょうね。ギターをかじっているので、先生から和声学の入り口の入り口を教えてもらったとき、例えば和音では同一音を出すと音がにごる(?)から、ジャズではそうならないようにコードを押さえる、でもってから、ジャズの場合のコードの押さえ方は難しくなるってなことを聞くにつけ、ああ、論理と感性(確かに同一音を重ねない方が気持ちいい)が結託してるなと思うわけです。
確かに音楽では、およそ楽聖はドイツ人(オーストリア人)が目白押しですよね。いちいちあげませんけど、そういう和声の伝統をワグナーがトリスタン和声でぶっ壊すというのも面白いです(このころワグナーは不倫をしていて、その心理的影響でこういう和声、つまり音に終わりがなくいつまでもだらだらと転調を繰り返しながら流れていくというのを音楽家の三枝さんがラジオで言ってました)。
そうなるとドイツ人に生まれたかったなと思うわけです。でも、才能ないからどっちでも同じね。
