第4回
感 想と雑 感
さて授業に関する率直な感想は20年前とそのコアな部分において、ほとんどなんら変わっていないということを認識させられました。オプション理論については当時は目新しいものでしたが、さすがにこの20年間で学問的にも整備された感がありました。その他の講義は基本的に20年前との差異はないように思います。では何が一番変わったかというと、この間の世界を取り巻く経済状況が1989年のベルリンの壁崩壊に象徴されるような冷戦終結、その後の日本経済やドイツ経済の失速という事態により、資本主義の形態が全世界的にアメリカ型資本主義になってきたため、資本政策面での理論的バックボーンを従来から果たしてきた、ビジネススクールのファイナンスが、実務面でとりわけ大きな力を得てきたということなのでしょうか。今でもよく覚えておりますが、私が卒業した年の卒業者リストの広告頁にGoldman Sachsが載っていましたが、当時、その名前を知っているのは日本の金融機関から派遣された友人でも少数でした。
私が留学した1984〜86年当時は日本経済が絶好調だったせいもあり、ビジネススクールで教えるファイナンスもさほど実務的には米国内でも浸透していなかったようにも思えます。その後は、既に説明したごとく米国型資本主義がグローバル化してくると、それに平仄を合わせるように米国内の有名なビジネススクールだけをとっても卒業生が毎年5〜6000人、これだけの数が20年ではなんと10万人以上となるわけで、彼らが怒涛のごとく投資銀行等や事業会社のCFOを目指して就職したわけです。
この累積数が実務の場面でビジネススクールのファイナンス理論に従って経営を進めるとなると、これはもう世界的規模での一大勢力となるわけです。
しかも当時から日本を含め世界中から留学した学生が、帰国後それぞれの母国でそれなりの高給や働きがいが期待できるため、米系投資銀行を志向する傾向は続いているわけで、米国にすれば自国のファイナンス理論を世界の津々浦々まで浸透させることはさほど難しくありません。
では、そのファイナンスの中身は何かというと、結局、アメリカはもうモノは作りませんよ、モノは他の国で作ってもらい、自らはそのあがりで稼ぐのが目的であり、会社はその目的を実現する格好のツールであるということを理論的に実証的に証明する学問であるというのが正直実感したところです。
ある教授が授業で述べた、とても印象的な言葉があります。職業柄、会計に関連したことなのですが、その言葉とは「そもそも会社の価値を測るのに帳簿価値(英語ではBook Valueと言います)等という言葉を充てること自体が不適切である。帳簿(Book)はあくまで帳簿(Book)であり価値などない(Book is only book, there’s no value on it)。価値とは株式市場で決まる株価に株数を掛けたもの(すなわち時価 market valeのことです)が全てである。」というものでした。
私が留学した当時から会計学とファイナンスとは仲が悪かったのですが、ここに至って、この教授の言葉に代表されるように、軍配は完全にファイナンスの側にあがったようです。実際、私たちの周りでも最近の退職年金会計、減損会計等、会計の数字をファイナンスの考え方に近づけるもしくは従属させる流れが主流となりつつあります。
以上のことを会計的に説明しますと、もはやアメリカはバランスシートの左側(資産を計上する側です)に完全に興味を失い、バランスシート右側(資金調達方法を計上する側です)の価値をファイナンス理論を用いてどうやって高めるかということに興味の中心があるということです。
私が受講したのはファイナンスコースであり、これは企業においては資本市場での決定権をもつCFOに対する講義であり、これに対して製品市場、その他、人事、マーケティング、戦略策定等々の決定権を持つCOO、この両者の統治者としてCEOが価値を創造する。そう位置づけされるのがアメリカのコーポレートガバナンスの基本型であり、果たしてCOOやCEO向けの講義でどのようなことが教えられているかはわかりませんが、現在のアメリカ企業でCFOの占める役割が極めて大きいことは既にご案内のとおりです。
ただこのようなアメリカ的資本主義もだんだんと問題点が露呈してきているのではないかと感じています。それはたとえばマクロ的には「ドルの還流」そして卑近な例では「アウトソーシング」という現象が物語っているのではないでしょうか。
(この講つづく)
