アメリカでも同じように、会計上の資産と株式市場の会社の価値とは、それほど連動していませんでした。1980年代までのアメリカでは、一般大衆の株式に対する投資志向は消極的でした。実際、ロナルド・レーガン大統領の頃は、株式や投資などは博打で、資金を投入するのは狂気の沙汰だと言われていたのです。ですから、アメリカで一般大衆が株式や投資信託に注目しだしたのは、実は最近のことなのです。
この傾向が積極傾向に転じた背景には、種々の理由があります。中でも一つの大きな契機となったのは、1980年代初めにアメリカに吹き荒れた、敵対的買収、乗っ取り屋等によるM&Aブームがあげられます。
当時、利ざや稼ぎを目的とした買収を免れるため、企業のCEOは株価を上げる事に専念するようになりました。株価を高くしておけば買収されにくいということから、徐々に株価が高くなっていくスパイラルが一般的になりました。そんな中、一般大衆も株が儲かることを知り、一般投資家として株式市場に入り、そうした傾向を下支えしてきたのです。併せて株価を上げるための取引の中で、仲介役としての投資銀行の占める割合が大きくなっていきました
同じ頃、ファイナンスの世界では「株主価値」という概念が確立されました。簡単に言えば、株価をどんどん釣り上げることによって、会社の価値が高まる、高まると売り買いする人たちにたくさん手数料が入ってくると言う、いわゆるマネーゲームの仕組みができてきたのです。
ただ、当時の経営者は、まだ会社の株価、利益よりも長期的な企業目標や従業員の雇用、社会への貢献というものに重きを置いていたようです。経営者の年収にしても、平均数100万ドル程度で、専門的経営者として、彼らの年収が株価の上下に直接連動しているわけではなかったので(とは言っても、業績悪化で株価が下がれば、「株主総会で解任」はありえましたが)、日常的に株価を念頭に置くというインセンティブはありませんでした。
1980年代までの経営者の平均年収は数100万ドルでしたが、今のアメリカの経営者の年収は100億円以上と言われています。そうなった背景として最も大きいのは、いわゆるアメリカのコーポレートガバナンスを変える動きがあったためです。つまり、「所有と経営の分離」という仕組みが破綻したことが最も大きな転換点と言えます。
「所有と経営の分離」は、経営学を学ぶと必ず勉強します。もともと自分たちが株式会社を起業して運営してきたものが、徐々に会社の規模が大きくなるにつれて専門的な経営者を雇い、経営を任せるようになったことから、「所有と経営の分離」が始りました。
ところが「所有と経営の分離」を「所有と経営の一致」へと回帰させるために生み出された、20世紀最大の発明があります。
それが何かは次回で。
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