阿部謹也先生に想う
阿部謹也先生の訃報を知りました。私淑していた先生であり、残念の一言につきます。
学生時代の彩りは人それぞれ千差万別でありましょうが、ロックとジャズにうつつをぬかし、ほとんど勉強もせず趣味的に哲学や歴史の授業をとっていた教養学部時代の私にとって−しかし年をとるにつれて、法学や経済学のような実学でなく歴史や哲学系の勉強をする機会に恵まれたことを今となっては本当に感謝しているのですが−そんなふうな学生時代に阿部先生の授業を受けることができたのは、その後の先生のご活躍を見聞きするにつけ非常に幸運だったとしか思えません。
今から20年以上も前のことなのでかなり記憶はあやふやですが、当時、阿部先生は一橋大学から来られ教養学部で西洋史を担当されていました。「中世賎民の宇宙もしくは世界」というような講座名の面白さに惹かれて受講しました。
当時は先生が「刑吏の社会史」を上梓された直後であり、同新書をテキストに今まで考えたことすらない、ドイツ中世に関して独自の切り口から考察をされた授業はとても印象的でした。確か最初の授業で「中世の(どこかドイツの地方都市名を挙げられました)広場には尖塔があり、塔の上方には人が入れる位の大きさの鳥かごが備えられている。これは中世の宗教戦争の際の拷問に使った道具の名残である・・・・。」というような出だしで始まり、教会とアジールの関係や互酬について一気呵成に授業が展開され、それまでの英雄や大きな出来事を中心に歴史を捉えるという見方から、被差別民の立場から歴史を捉えるという新しい視点での歴史感がすごく新鮮だった覚えがあります。
アナール学派の影響があったかどうか、あるいはアナールという言葉自体がこの場合に適切かどうかは歴史学を生業としていない私にはもはや定かでありませんが、先生の授業から強烈に感じたこと、そしてその後も私の心の中に引っかかり続け、ことあるごとに気になることがあるのです。
「独創的なるものの価値」
阿部先生の授業から私が感じたのは、独創的な考えや発想は簡単に生み出すことはできないけれども、考えが発露されたとき、人はその無限なる価値を評価し、その後、長らく人の価値観や人生観にさえにも影響を与え続けるということです。
ビジネス、学問、趣味。我々をとりまく諸々の世界で、日本オリジナルでなく他の国発信のものを無批判に用いる姿勢は情報を追いかけているだけで無為に時間が費やされてしまうでしょう。
大学時代、今でも世間的に有名な多くの教授の授業を受ける機会に恵まれましたが、今となって振り返ると、それらの授業は結局二種類に分類されていました。世間の学説を繰り返すだけのダイジェスト授業と独創的な授業です。有名教授がことごとく独創的な授業をしていたわけでもなく、否、むしろ、当時はやりの学説(欧米発)を換骨堕胎し自分なりに工夫して話されていたような気が大いにするのです。実際、阿部先生以外の授業は2、3の例外を除くと、確かに面白いものもあったという記憶はあるのですが、内容に関しては皆目覚えていないのです。私の感性が阿部先生のそれとマッチしたとか、他の科目は不得意だったとか、そういう分析もできるかもしれませんが、やはり阿部先生の言説がその当時の学生から見ても圧倒的に群を抜いていたのだと思います。
自分の知識、学識、経験、体験、その他、諸々の自分を構成する要素すべてを総動員して出来上がった考えの相手に与えるインパクトは計り知れないものがある。そういうことを阿部先生の授業は教えてくれた、そんな風に懐かしく思い出されます。
合掌。
